化学センサ研究会 10年の歩み


2.2 その後の歩み

 化学センサ研究会は、”走りながら考える”研究会であったが、会員諸氏の絶大な支援を受けて順調に活動をつづけて来た。そして、活発な研究会として、電気化学協会内ではもとより、国内外で広くその存在が知られるに到っている。会員数は増加の一途をたどり、現在個人会員約220名、法人会員約40社である。

 この間本研究会運営に携わった役員は別掲の通りである。発足後昭和61年までの足かけ3年は過渡期ということで、同じ役員体制がつづけられた。以後役員の2年任期制を維持している。また、昭和62年からは副会長2名制から4名制に改められ、企業側からのさらなるご協力を迎ぐことになった。発足から1994年度までの11年間、本研究会の運営にあたられた延べ5名の会長、19名の副会長および多数の幹事委員および委員に厚くお礼申し上げたい。またこれらの役員に加えて、昭和60年度からは顧問が、昭和63年度からは参与が設けられ、それぞれ本研究会に大きな功績のあった大学・研究所、および企業からの大御所に就任していただくこととなった。顧問には清山哲郎九大名誉教授(昭和60年から)、鈴木周一東工大名誉教授(昭和61年から)および塩川二朗阪大名誉教授(昭和62年から)にご就任いただき、 また参与には初代副会長の早川茂氏(昭和63年から)および千葉瑛氏(昭和63年〜平成6年)にご就任いただき、大所高所からの種々のご指導を迎いで来た。ここに厚くお礼申し上げる次第である。なお本研究会事業のうち最も苦労が多かったのは機関誌「化学センサニュース」あるいは「化学センサ」の発行である。現在まで順調な発刊がつづけられているが、これはひとえに歴代の編集幹事委員をはじめ編集委員の方々の血と汗によるものであり、ご奉仕とご尽力に心からの謝意を表したい。また記事執筆にご協力いただいた多数の本会会員の方々に厚くお礼申し上げたい。機関誌は本研究会の顔であり、今後とも充実発展していくことを願ってやまない。

 本研究会のこの10年の歩みを以下いくつかの事項にわけて述べてみたい。

(1) 化学センサ研究発表会の拡充

 当初化学センサ研究発表会は電気化学協会の秋季大会と連合する形で年1回開催した。しかし、発表件数が年々増大して来たことから、年2回の開催とし、電気化学協会の春季大会時にもこれを開催することになり、第8回研究発表会(1989年4月、横浜国立大学)から実行に移された。ただし、これには問題がないわけではなかった。というのは、電気化学春季大会は、原則として協会のみで企画する学会とされており、秋季大会でのように本研究会主催での研究発表会と連合するには無理があることがわかったからである。この件について電気化学協会側と交渉した結果、電気化学協会側の発表枠内にありながら、本研究会の研究発表としても取り扱うという妥協が成立した。この二重の性格のために、春の発表会では2種類の予稿の提出が求められるなど発表者諸氏にご不便をおかけすることになった。研究発表会は1984〜1994年の11年間に17回開催され、延べ762件にのぼるオリジナルな研究発表がなされている。また延べ34件の特別講演が各発表会で行われている。これらの膨大な情報は、本研究会が積み上げた貴重な財産であり、今後の研究の発展に大いに資するものと期待される。なおこのような活発な研究活動の結果、本研究会の多数の会員が電気化学協会および関連の学会からいろいろな賞を授与されており、誠に慶賀にたえない。

 上記と併行して、研究発表会で公表される情報が他の研究者により正確に伝わり、より有効に利用されるようにするために、予稿の形式も改められた。すなわち、予稿の枚数を4ページとし、速報論文的な性格をもたせたことや、タイトル、アブストラクト、図表などを英文もしくは英文併記にして、外国人にもある程度理解できるようにしたことなどである。研究発表会も英文ではシンポジウムと称されることになった。この形式は、第7回研究発表会(1988年9月、埼玉大学)から採用され、現在に至っている。さらにケミカルアブストラクトへの抄録を目指した検討がなされた結果、機関誌「化学センサニュース」を「化学センサ」とし、研究発表会の予稿集(ダイジェスト、のちにプロシーデングスと呼ばれるようになった)をその付録(Supplement A(春季)およびB(秋季))とすることになり、第11回研究発表会から実施された。なおこれを機に機関誌の表紙デザインも現在のものに一新された。機関誌は第7巻第1号(1991年)からCODEN: KAGSEUというコード名が与えられ、学術誌として登録されている。

(2) 定例研究会

 年2回の頻度で講演会中心の定例研究会を毎年開催して来た。1回は年次総会に引つづいて、また他の1回は8月に日本各地で開催して来た。毎回化学センサに関する種々の角度から3件の講演が行われ、会員にとって極めて有意義な情報源の一つになっている。別記のように本研究会発足以来の開催数は20回を越え、講演も伸べ60件を越えた。各講師ならびにお世話いただいた多くの方に厚くお礼を申し上げたい。年2回の研究会のなかでも8月の例会は、1泊2日の日程で合宿形式で行われて来た。合宿は会員相互の理解、親睦を深める上で極めて有意義であり、これによって築きあげられた人間的なつながりが本研究会の大きな支えになっていることは間違いない。これまで各地での合宿を世話していただいた方々に重ねて感謝申し上げたい。

(3) Chemical Sensor Technologyの発行

 昭和61年講談社サイエンティフィックの太田一平氏から化学センサに関する英文専門書の発行について打診があり、本研究会の支援のもと、Chemical Sensor Technologyという専門書シリーズの刊行が計画立案された。この専門書は世界的な視野で選ばれた最も注目すべき化学センサ研究について、本人が執筆したレビューを収録することを主旨とした。執筆者の選定は本研究会会員および外国人研究者からなる10人の編集委員のもとでおこなわれた。第1巻(編集者清山哲郎(敬称略))が昭和63年(1988年)刊行されたのを皮切りに、第2巻(清山哲郎、1989年)、第3巻(山添f、1991年)、第4巻(山内繁、1992年)、第5巻(相澤益男、1994年)が順次刊行された。各巻15〜20件のレビューが収録され、その約半数が本会会員の研究に関するものであった。これも日本の研究水準の高さを示す一つの指標であると云えよう。

(4) 外国への働きかけ

 本研究会は、常に国際的な動きを視野に入れながら活動して来た。研究会の経常予算には国際活動費年30万円が古くから計上されている。国際的な活動の詳細は別項で記述されるので、ここでは概略を述べるにとどめる。

 本研究会は、第1回化学センサ国際会議(1983年)のホストとなったセンサ研究懇談会のあとを受けて、その後の化学センサ国際会議を様々な形で支援して来た。第2回会議(1986年、ボルドー)では法人会員数社にお願いして財政的な援助も行っている。第3回会議(1990年、クリーブランド)は本研究会からの緊急アピールによって開催が実現した経緯がある。そしていうまでもなく第4回会議(1992年、東京)は本研究会の全面的なバックアップで開催され、第5回会議(1994年、ローマ)でも本研究会が強力な支援となった。

 本研究会は、また東アジア地域における研究者の連携に意を注いで来た。とくに韓国への働きかけは早く、第7回化学センサ研究発表会(1988年)に韓国からの特別講演を依頼している。1991年には韓国側の呼びかけで韓日化学センサシンポジウムが国立ソウル大学で開催された。またこのとき韓国側から出されたこの種の国際会議を定期的に開催したいとの要請が出発点となって、東アジア化学センサ会議の開催(1993年、電気化学協会60年記念事業一環として福岡で開催)が実現した。そしてこの会議は、各国持ち廻りで2年周期で開催されることが申し合わされ、本年第2回会議が中国西安市で開かれることになっている。

 本研究会は、またそれぞれ約5年周期でハワイでおこなわれる日米電気化学会議および環太平洋化学会議において、化学センサシンポジウムの開催を強力に支援して来た。これらが日米の研究者交流の促進に果たした役割もまた大きいものと考えられる。


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