1.2 懇談会の発足後の歩み

 第2回以後の会合では、3〜4名の方に講演を願い、その後ディスカッションと情報、意見の交換を行い、かつは親睦を計るという形式で年間3〜4回の会合を実施した。今ふり返ると相当の頻度で実質のある会合が持たれており、皆さんよく精励されたなと言う思いである。

 その間、昭和54年になって、電気学会でも「センサデバイスとその応用」について関心を抱くようになり、わが方に合同で研究会をやってはとの呼びかけがあって、昭和55年5月26日に合同研究会(当方としてはこれを第11回の研究懇談会として)電気学会、応用物理学会との共催で開催した。これが翌年の昭和56年6月には第1回の「センサの基礎と応用シンポジウム」として続くのであるが、電気学会側が主導権を握りたいという意欲が強く、当方は些か辟易してこのときから協賛するに止めることとなった(わが方は同じ時期に第14回の懇談会を別個に開催した)。こういう経緯もあって、昭和56年から独自で研究発表会を毎年開催しようと言うことになり、早速その第1回を同年10月に東大において開催した。これには25件の発表があり盛会であった。又、懇談会としては文献、情報等に関する連絡を強化することとした。

 こう言った経過をたどる中で、以上に加えて研究懇談会と表裏一体の活動があった。それは次の二つである。第一には化学センサの普及、発展のための解説書乃至総説の刊行である。昭和55年頃より、前記4名のオブザーバーが中心になって化学センサの解説書を編集する企画を進め、昭和57年3月に講談社サイエンティフィクより出版した。又、これと並行して、「電気化学」誌で化学センサの特集号を企画し、これは57年1月号及びそれを小冊子にしたものとして実現した。いずれも懇談会の活動を補完するものでその製作には多くのメンバーに協力いただいたが、化学センサの解説のまとまったものとしては最初のものであった。第二は国際会議の開催である。昭和55年頃より化学センサの国際会議の企画がメンバーの間で話題にされていたが、昭和56年早々にこれを懇談会の議題として上げ、58年秋に福岡で開催することまで決めて、その準備にかかった。それまで化学センサに関する国際会議は行われていず、世界で初めての国際会議となるだけに不安もあったものの機運は熟しつつあると見たのである。皆の意気込みは旺んなものがあり、懇談会メンバーの一致協力のもとに準備が進行し、会議は58年9月に大成功裏に遂行された。この会議で化学センサの概念とその内容とするものが世界的に認識され定着するとともに、各国の研究者が一堂に会して、最新の研究成果や新規の提案の発表を通じて、学術的交流を深めたことの意義は大きい。この会議はその後引き継がれて昨年には第5回がローマで開催されている。第1回を日本で開催できたことは特筆すべきことであるが、これはわが国の化学センサの研究と開発が世界的にみて先頭を走る状況にあり、又センサ研究懇談会という強力な基盤があったればこそである(化学センサニュース 1、1号、1、2(1985);化学センサ 10、4号、131 (1994) を参照下さい)。

 さて、このようにして研究懇談会は活動力に溢れる年月を駈けぬけてきたのであるが、昭和59年3月に第23回の会合を静岡の矢崎技術開発センターで行った。この会合を世話してくれたのは矢崎の二田穂積君である。同君は私がガスセンサを手掛け始めた頃の助手であった。これには因縁を感じている。というのも、このとき私自身は九州大学の教授定年の時を迎えていたので、この会合を持って世話人の役を退き、第一線から解放されたからである。又、これと同時に、懇談会の方も、設立以来8年を経過し順調に発展してきたものの電気化学協会の一研究懇談会であることが逆に足かせともなってきており、次なる飛躍のステップが望まれていたので、懇談会から化学センサ研究会へと発展的に脱皮することとなった。これまで多くのメンバーの方々と本懇談会を媒体として親交を頂いたこと、又皆さんと一緒にたのしく且つ精一杯活動できたことに深く感謝申し上げて小文を終わりたい。


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