わが国の電気化学は戦後の日本の産業の回復と発展とともに盛んとなり、それにつれて電気化学協会も発展した。しかし日本の高度成長も昭和45年頃をピークにして上昇傾向に歯止めがかかり、50年を過ぎると、電気化学関連の業界も協会もともに沈滞の時期にさしかかっていた。その頃、協会事務局の武井実氏と雑談していた折、「協会には研究懇談会の制度があるが、元気がなくなって困っています。何かいいアイデアはないでしょうか」と言われた。当時私はガスセンサを片手間に研究していて、この新分野の発展性を多分に感じてもいたので言下に「センサでも取り上げたら」と言った。ところがすぐに「それはいいじゃないですか。先生一つやって下さい」と言われた。これが発端である。さて、懇談会の設置を引き受けたものの私一人でやれることではない。そこで電気化学関係の実力者で且つこの分野に大なり小なりかかわっておられる塩川二朗(阪大)、鈴木周一(東工大)、笛木和雄(東大)の3先生と話し合ったところ、「それは結構じゃないですか。一緒にやりましょう」と賛同された。それから懇談会の趣意書、運営等の案をつめ、参加者を募ってセンサ研究懇談会の発会にまでこぎつけた(参考までに会の設置趣意書の一部を末尾に掲げた)。ときに昭和52年6月30日、東京においてであった。前期の4名がオブザーバーとなり(会を代表する世話人には私が当たった)、又それぞれの助教授であった足立吟也、相澤益男、山内繁、山添fの新進気鋭の4名に幹事として実務にあたってもらった。以上の8名が懇談会運営の中核であったが、仲々気分よく仕事ができたことを有り難く思っている。尚、発会の第1回の会合では柳田博明(東大)、相澤益男(東工大)の二人に講演をお願いした。発足時の名簿によるとオブザーバー9、大学、研究所関係15、企業関係19計43名のメンバーであった。